さてここで真剣に考えることにしましょう。連続殺人事件に対する、死刑判決
です。犯人は5人も殺害し、警察に逮捕された。拘留され、判決が出て、
死刑判決となり、その日まで投獄されることになります。

死刑当日、食事を済ませ、様々な手続きを済ませ、首輪にて死刑執行と
なります。首吊りは伸びるそうで、30分放置後、命が残っているか確認
することになります。これで死刑の執行が完了となります。

ここで確認することがあります。人体に何回、「加工」を施したか? 加工
とは注射、手術メス、拷問器具などによって、体を変形させたかということ
です。連続殺人者に加えられた、致死に至る「加工」は1回で済んでいます。
本人の望まない、法的「加工」は1回で済んでいるのです。

それに比べると、性犯罪者に対する、女性(純人)の求める刑罰は、
物理的去勢、その後、拷問を経て、死刑に処せ、という過激な発言が
見受けられます。これらを「加工」という判断で数えると、3回。本人の
望まない、法的「加工」は3回となります。連続殺人より性犯罪の方が
量刑が重くなるべきだと女性達(純人)は言っているのです。

これは明らかに、女(純人)が男(亜人)を見下しているのです。そもそも、
性犯罪の被害として女(純人)が精神的被害に遭った、物理的に傷つけ
られたという事実は事実であっても、殺人という命の抹殺の重罪を超える
ことは出来ないのです。それより女(純人)は女としてのプライドが発動し、
「女王様」として男(亜人)を罰しなければ気が済まないという、古来からの
本能が働いているからだと考えられるのです。

では、連続殺人より性犯罪の方が重罪なのか、彼女達(純人)なりの論理
を検証してみます。よく言われるのは、犯された嫌な思い出が繰り返し
思い出されるというもの。それによって男性不信に陥り、結婚も出来なかった
というもの。確かに人生の運命を変えられてしまったことに、致死の罰を
突きつけたいという理由は分かります。でも、そこに至るまでに心のケアを
社会を挙げて念入りにやらなかったのか、道徳などの教育的指導を予防
としてやらなかったのか、そのことが先に問われると思うのです。

連続殺人犯を超える法的な「加工」を、物理的去勢、拷問、死刑と、やらな
ければならないのか? それは男(亜人)の立場として自分を考えた場合、
理解出来ない。普段から社会的な責任を負わされ、楽しみもなく、エロ本
を見て性欲に溺れるくらいの楽しみしかない男(亜人)としての生き方に、
その仕打ちはどうしても理解出来ない。

つまりここで必要になってくるのは、物事の仕分けだと思うのです。それは
社会的な仕事負担の仕分けです。例えば、山のクマを相手にするのと、
クマのような男(亜人)を相手にするのと、どちらが負担か。あるいは、
山のような鉄骨の建築現場を相手にするのと、山のような男(亜人)を
相手にするのと、どちらが負担か。そう考えると、どれだけ女(純人)の
仕事負担が軽減されているのか分かるというものです。男(亜人)は、
これらの仕事を放棄すれば良い。

手術など人体に対する「加工」ついでに申し上げれば、このような例が
あります。職場でケガをし、ひざの半月板の中で神経が飛び出てしまった。
神経が飛び出るなどの現象をヘルニアと言います。これを手術で直すか、
リハビリで直すか、相談されたことがあります。そこで反射的に思い付いた
ことは、「手術でメスを立てれば、元の状態とは全く変わってしまう」という
もの。失敗すれば元に戻らない。もし、可能性があるのであれば、リハビリ
で直して、メスを使わず全快する方が良い。そう考えたのです。直感で
述べたことを参考に、その人はリハビリで直したのです。我ながら、自分の
中に「神」が宿っているのではないかと感じました。

そう考えると、彼女達(純人)の言う、物理的去勢、拷問、死刑のその
発想が何と卑怯なことか。。。男(亜人)が存在する原因は、女(純人)の
身勝手な理由でしかないのです。楽だけがしたいと、嫌なことには関わり
たくないと。そうであるならば、男(亜人)は黙って仕事から退けば良い
のです。

男(亜人)の側としても女(純人)に対して不信でいっぱいなのです。どこまで
女王様なのか。これからの世界は、嫌悪する男(亜人)と、性犯罪してくる男
(亜人)しかいなくなって、その中間の男(亜人)がいなくなるのではないか?
実際、結婚の段階で、相手の女(純人)を厳しくふるいにかける風潮がある
のです。

確かに、手術メスを使わない、薬剤による去勢がお勧めです。物理的に「加工」
しないのですから。しかし女(純人)が男(亜人)に嫌悪することもさることながら、
男(亜人)が女(純人)に嫌悪することも問題なのです。社会的な仕事を分担する
上で、女(純人)こそが責任を取る姿勢が問われているのです。